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【旅行記】忘れられない旅〜イタリア編〜その①

こんにちは、今日はいつもとまったく違ったテイストの記事、
私の旅行記を書いてみたいと思います。





旅の舞台はと言うと、、、

目次

イタリア

3年ほど前の話になってしまうのですが、
私の親の仕事で2週間ほど
真夏のイタリアに行く機会がありました。

仕事8割、観光2割という感じの旅でしたが、
(私にとっては全て観光)
とても美しい写真がたくさん撮れました。

今でもアルバムを見返せば2,3時間平気で見入ってしまうような
とても印象に残っている旅でしたので
皆さんにも見ていただきたいなと、記事にすることにしました。





アリタリア航空:日本-イタリア直行便

あまり聞かない航空会社ですが、
日本からイタリアに経由なしで行こうとすると
この航空会社一択になります。

ロシア経由やドバイ経由の便もありますが、
意外とトランジットで時間がかかったりするので
この旅行は直行便で行くことになりました。



ローマまでの所要時間は13時間弱
ここまで長いフライトは初めてで、
かなり疲れたのを覚えています。

少し面白かったのが、
機内サービスがセルフ(笑)

客室乗務員は全員イタリア人のようでしたが、
一向に台車がまわってくる気配なし。

トイレに立ったら気づいたのですが、
台車が通路に置いてあり、
お客さんは自由に飲み物を汲んでいました。

乗務員さんたちは地べたに座って
楽しそうに話していました(笑)

確か機内食は、夜と朝が出たのですが、
流石に機内食は台車で運んできてくれました。

ですが乗務員さんはイタリア人
「fish or meet?」
とだけ聞いてきました。







そして長いフライトが終わり、
イタリア・ローマに到着

到着から3日間、観光でローマに滞在しました。



ローマは歩いていける距離に世界遺産があるんですよね。
滞在していたホテルから一人で歩いて世界遺産めぐりをしました。

コロッセオ Colosseo


「コロッセオが滅びるとき、ローマは滅び、そのとき世界も滅びる」と言われたローマのシンボルとも言える石造円形闘技場。コロッセオと聞くと剣闘士同士、または猛獣との殺し合いのイメージが強いですが、その手の物だけではなく、動物の調教やアクロバットを見せるサーカス、体操競技、模擬狩猟など多種多様な催しも行われていたそうです。




フォロ・ロマーノ Foro Romano

紀元前6世紀頃からローマ帝国がテトラルキアを採用する293年にかけて、国家の政治・経済の中心地であったが、ローマ帝国が東西に分裂し、首都機能がラヴェンナに移されると異民族の略奪に曝されるようになり、西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられ、土砂の下に埋もれてしまった。




トレヴィの泉 Fontana di Trevi

ローマにある最も巨大なバロック時代の人工の泉(噴水)である。ローマでも有数の観光名所として賑わっている。トレビの泉、トレドの泉とも呼称される。ポーリ宮殿の壁と一体となったデザインで、中央に水を司るネプトゥーヌス(ポセイドーン)が立ち、左に豊饒の女神ケレース(デーメーテール)、右に健康の女神サルースが配置されている。これら池全体の造作はニコラ・サルヴィの原案でピエトロ・ブラッチが制作した。




スペイン広場 Piazza di Spagna

スパーニャ広場には、トリニタ・デイ・モンティ教会へと続くトリニタ・デイ・モンティ階段、通称「スペイン階段」が接する。 設計はフランチェスコ・ディ・サンクティスによるもので、1725年に完成した。波を打つような形態はバロック的な効果をあげている。映画『ローマの休日』で、オードリー・ヘプバーン扮する王女がジェラートを食べたシーンでもおなじみの場所である。当初、フランスの外交官の寄付によって造られたものの、スパーニャ広場にあるためこの名で呼ばれている。保全のため広場での飲食や階段での座り込みが法令で禁止され、『ローマの休日』のシーンのようにジェラートを食べたり座ったりすることはできない。




真実の口 Bocca della Verità

ローマのサンタ・マリア・イン・コスメディン教会の外壁、教会の正面柱廊の奥に飾られている。元々はフォロ・ボアリオ地区の寺院内にあった集水器の覆いであったと考えられている。刻まれている顔は海神オーケアノスのものとされる。手を口に入れると、偽りの心がある者は、手を抜く時にその手首を切り落とされる、手を噛み切られる、あるいは手が抜けなくなるという伝説がある。





ここらへんまでは誰でも知っている世界遺産だと思いますが、
私的にはまだまだ外せない建築物がありました。

私は映画「ダ・ヴィンチ・コード」の続編、
ダン・ブラウンの映画「天使と悪魔」の大ファンで
ローマに行く機会があったら絶対に登場した場所をめぐりたいなと思っていました。




パンテオン Pantheon


世界最大の石造り建築で、現存するローマ建築のなかで、原型を完全にとどめている遺構のひとつ。ローマでも最も人気の高い観光スポットである。紀元前27年に建設され、焼失後、118年に再建。7世紀には聖母と殉教者をまつる教会となった。ローマ最古のカトリック教会堂と言われる。1975年までは、自立構造のドームとして世界最大を誇り、球形の天井にある直径9mの天窓から太陽光が降り注ぐ。




サンタンジェロ城 Castel Sant'Angelo

2世紀にローマ皇帝の霊廟として建てられ、その後は要塞、教皇の避難場所、教会に背いた者の牢獄と、多くの役割を担ってきた。ローマの人口の半分がペストで亡くなった590年、ここに大天使ミカエルが現れ、剣を鞘に収めて疫病の終息を告げたと言われる。現在、城の内部は国立博物館となり、15~16世紀の貴重な家具なども展示されている。城壁の上にはヴァティカンと直結する避難通路があり、度重なる修繕によって、城内には無数の隠し部屋や秘密の入口が存在するとの噂もある。敷地が五芒星の形をしているのも特徴的だ。正面のテヴェレ川に掛かるサンタンジェロ橋には、天使の像が並び、そのうち2体はベルニーニがデザインしたもの。




ナヴォーナ広場 Piazza Navona

車の進入が規制され、3つの噴水の水音に満ちた、市民や観光客の憩いの場。もともとここは、1世紀の後半、競技場が建設された場所で、その後、市場としても賑わった。「ムーア人の噴水」「ネプチューンの噴水」も美しいが、最も有名なのが、ベルニーニの代表作である「四大河の噴水」。四方向に、それぞれナイル、ガンジス、ドナウ、ラプラタという川を象徴した彫刻が施されている。そこにはキリスト教が世界に君臨したとの意味も込められた。ライオンやワニの彫刻が形成する光と影のバランスにバロックの特徴が顕著だ。中央に立つオベリスクの先端には、オリーブの枝をくわえた鳩の彫刻がたたずむ。





もちろん国境を越えて、
バチカン市国と美術館も見てきました。



サン・ピエトロ大聖堂 Basilica di San Pietro in Vaticano

カトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂の前に広がる、楕円形の広場。大聖堂の建つ場所は、ローマ時代、共同墓地だった。広場は、左右に2列、計284本の柱が支える回廊に囲まれている。中央のオベリスクは1世紀にエジプトから運ばれた。大聖堂はミケランジェロの設計だが、広場はベルニーニの設計。ミサが行われる日曜には、ローマ教皇が窓から挨拶することでも知られる。大聖堂に向かって右に隣接するのがシスティーナ礼拝堂で、教皇の選挙「コンクラーベ」の際には、礼拝堂の煙突から上がる煙の色で、結果が知らされる。




バチカン美術館 Musei Vaticani



カトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂の北側に隣接するヴァチカン宮殿の大部分を占める巨大な美術館である。500年以上の歴史をもつヴァチカン美術館は、新旧さまざまな美術館の複合体であり、イタリア語の館名は単数形のMuseoではなくMuseiと複数形になっている。公式の館名は「教皇の記念物・博物館・ギャラリー」と言う。







ここまで見るのにまるまる3日かかりました。
すっごく充実したローマ観光でした。

もっと時間があれば「天使と悪魔」で登場する教会をもっと見たかったです。

また時期的にはハイシーズンの真夏だったので、
晴れた日は気温が40度を超えていました。

しかし日本と違い、湿気が少ないので、
カラッとしたイメージで、日本の蒸し暑い暑さは全くなく、
肌が焦げるような暑さでした。

このローマ観光の後、
電車でイタリア北部の小さな町
グッビオへ移動しました。

親が趣味でオペラ歌手をやっており、
この小さな町の音楽祭に出ることになっていたのです。

グッビオという小さな町も、
自然に囲まれたとても良い場所だったので、
次の旅行記で紹介したいと思います。



ありがとうございました。





追伸:

これが本場のマルゲリータ

マルゲリータとペペロンチーノは、
イタリアで注文すると良い顔されないので注意が必要です。

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